ビーフジャーキーに使われる牛肉の歴史とは

コラム

パワーの源でもある牛肉はいつ頃食べられるようになったのでしょうか?その前に牛のルーツはどういう動物だったのでしょうか?牛の起源と歴史、日本における牛の歴史、さらには天武天皇が肉食禁止令を出した理由などについても調べてみましょう 。

牛の起源と歴史とは?

牛のルーツは、新石器時代の西アジアやインドにいた野生のオーロックスになります。オーロックスは体の高さが約2mもあり、おまけに長い角を持っていたため、人々から恐れられていました。 ところがイランのある農家において、数千年前に家畜として飼われるようになりました。その後、ヨーロッパから西アジア一帯に分布するとともに進化し、飼い慣らされて家畜になりました。

古代日本における食用としての牛肉の歴史とは?

縄文時代の遺跡から出土した骨から、当時、鹿や猪などの哺乳動物が食べられていたと考えられています。

日本に牛が持ち込まれたのは中国大陸からで、紀元前のことと考えられています。弥生時代には朝鮮半島からやってきた渡来人により、牛肉を食べる文化が日本に持ちまれています。

古墳時代前期には牛を形象した埴輪が存在していたとされているため、この頃には牛の飼育が始まっていたと考えられています。ただ当時は食用ではなく役畜として飼われていました。

飛鳥時代以降の日本において牛は主として農耕用として利用され、また宗教的な理由もあったため、牛に限らず肉を食べることを禁じる肉食禁止令がたびたび出されました。しかし仏教が浸透していない庶民の間では肉食は続けられていました。

平安時代には牛が放牧され、乳の利用も盛んになったとされています。その後の室町時代に牛の糞を堆肥として使ったように、牛は農耕用・運搬用として使われてきました。

安土桃山時代になると、南蛮貿易によって西洋の食文化が渡来し、再び肉食が広まります。しかしこの時も鎖国政策やキリスト教の禁止によって、肉食が定着することはありませんでした。

明治以前の日本における食用としての牛肉の歴史とは?

江戸時代に入ると、外国人の影響を受け、牛肉を食べるようになりました。ところが現在のような食べ方ではなく、健康回復や病の養生を目的にした薬喰い(くすりぐい)という食べ方でした。

このように江戸時代までの日本では、味を楽しむという目的で牛を食べることはなかったと考えられます。

仏教伝来以降、牛肉食は建前上禁忌とされていたものの、さまざまな形で続けられており、日本人が牛肉をまったく食べなくなった時期は無いと言っても過言ではありません。明治時代になって牛肉食が日本人の食生活に定着したのは、こうした背景があったからでしょう。

明治以降の日本における食用としての牛肉の歴史とは?

ペリーの来航以後、外国人居留地において牛肉の需要が高まり、屠牛所を設け牛肉の供給が行われるようになりました。

明治時代になると牛鍋やすき焼が大衆の間でも人気となり、各地に屠牛所が設けられ、同時に肉牛の飼育も始まっています。明治19年には軍に供給する食料の関係で、牛肉の需要が一気に高まりました。

日清、日露戦争により牛肉の消費はさらに高まり、大正時代には景気がよくなったこともあり国産牛が不足するようになりました。そのため大正6年から10年にかけて、年間で6,400トンもの牛肉が輸入されるようになりました。

さて焼肉が日本で広がったのは戦後になってからのことです。当時は闇市で牛や豚の内臓を焼いて食べさせるお店が登場し、人気が出始めました。これがいわゆる「ホルモン焼き」で、その後赤身肉が普通に焼肉で食べられるようになったのです。

日本初の焼肉店は1946年頃に登場し、1988年のソウルオリンピックで起きた韓流ブームで焼肉店の人気が高まったのです。

なぜ天武天皇は肉食禁止令を出したの?

日本人は明治時代まで肉を食べなかったとまで言われるほど、肉を食べるようになったのはかなり遅かったようです。

歴代の天皇は7世紀以降、頻繁に肉食禁止令を発しています。その肉食禁止令を最初に出したのは天武4年(675年)の天武天皇でした。

元来日本が肉食禁止の歴史を積み重ねてきた理由の一つに、米を主食とする農耕民族であったということがあります。

天皇は宮中でも田植えをし、新嘗祭ではできた米を奉納します。このように農耕が大切にされ、狩猟民族が肉を食べるのと対立してきたという歴史があります。

天武天皇は仏教の立場から、落とし穴や槍による狩猟を禁止し、農耕期間である4月から9月まで、牛、馬、犬、猿、鶏を食べることを禁止しました。 ただ新芽を食べる鹿や、農作物を掘り返す猪については禁止されませんでした。肉食禁止の理由は、牛は田畑を耕すから、馬は荷物を運ぶから、犬は吠えて危険を知らせるから、猿は人間に似ているから、鶏は朝、時を知らせるから、という説があります。

ビーフジャーキーに使われる牛肉の歴史について

牛のルーツは新石器時代にいた野生のオーロックスという動物でした。その後、家畜として飼いならされ、中国大陸から日本に持ち込まれています。

牛を含む哺乳動物を食べる習慣は、日本でも古代からあったようです。ただ日本では主として農耕用・運搬用として牛が飼われていました。また宗教的な理由もあったため、日本において牛肉を食べるのは広がることはありませんでした。ところが明治時代には牛鍋やすき焼が大衆の間でも人気となり、牛肉の需要が高まり始めます。そして戦後の闇市から焼肉という食文化が生まれます。天武天皇を始め、日本では何度も肉食禁止令が出されていますが、やはり牛は農耕用・運搬用として役に立ってきたという歴史があることも一つの理由です。

おやつやおつまみとして身近なビーフジャーキーに使われている牛肉にも、このような歴史があるのです。

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